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2010年3月 6日 (土)

僕の愛が僕を裏切る

初めにご了承いただきたいのですが、今回の記事に限らずこのブログ「勇気凛々」の記事は、「追悼、マイケル・ジャクソン」にしろ「ヘルメスの杖」や「フレディとマイケル・その2」になどにしろ、「絶対にこれが真実だ」と主張したくて書いているわけではありません。

ただの一介の聴衆である私が知りうる情報の、断片をひろい集めて並べ替えたりひっくり返したりして俯瞰的に考えた時に、

そう考えれば説明がつく、辻褄が合う

と、私自身が納得できたことを、文章にしているにすぎません。

真実などしょせん本人にしか判らぬこと。
…いえ、もしかしたら本人にすら、判らぬこと。

なぜ自分はここにいるのか、と、説明できる者などそうはいないはずだから。

  ☆      ☆

一般的にも、また数字の上でもクイーンの代表作と考えられている75年のアルバム「オペラ座の夜」に収録された、一片の美しくも哀しいラブソング。
「ラブ・オブ・マイ・ライフ Love Of My Life」は、作者であるフレディ・マーキュリーが、当時ステディな関係にあったメアリー・オースティンとの別れをテーマに創った曲である、と、現在ではいわれている。

 

 Love of my life you've hurt me
 運命の恋人、君が僕を傷つける

 You've broken my heart and now you leave me
 君は僕の心をずたずたにして、今僕から去って行く

 Love of my life can't you see
 運命の恋人、判らないの?

 Bring it back bring it back
 戻して、愛を戻して

 Don't take it away from me
 それを僕から取り上げないで

 Because you don't know
 だって君は知らない

 What it means to me
 それが僕にとって何を意味するのか

 

しかしこの歌詞が、昔からクイーンファンを悩ませた。
これではまるでメアリーの方がフレディを捨てたように聞こえる。だが現実は逆だ。
メアリーと付き合い同棲していたフレディは、やがて別の人に恋をした。別の、「男性」に。

今まで何度も書いたようにフレディ自身、自分のことはほとんど説明も解説もしようとしない人だったので真実は誰にも判らないまま、この愛の曲は伝説と化してしまった。

 

一部のフレディファンの中には、「フレディ・マーキュリーはゲイだ」と言うとむきになって反論する人がいる。「いや、彼はバイだ。女性とも付き合っていたし」

私は、やはりフレディはゲイだったと思う。ただ、自分がゲイであることを認め、それを受け入れたのが30歳前後と、己が性を意識するにしては比較的遅めだったにすぎないのだと思う。

 自分がゲイであることを、認め、それを受け入れる。

それは言葉で言うほど、字面で読み流すほど、簡単なことではないはずだ。それまでの価値観がひっくり返るのだから。特に保守的な環境にいた者ほど、その葛藤はおそらく大変なものだろう。
フレディはパールシーの上流家庭で厳格に育てられている。フレディの母、ジェー・バルサラさんはインタビューで、「一族には医者や弁護士が多かったので、彼にもそうなって欲しかった」と言っている。

 そんなはずはない、いや、違う。
 でもそうかもしれない。もしそうだとしたら…

二人が「恋人としては」破局した後の、フレディのメアリーに対する絶対の信頼、それはまるで、「愛以外の」すべての人生を彼女に預けているかのように、見えた。

おそらく、フレディは美しく賢くそして献身的な恋人だったメアリーのことが本当に大好きで大好きで、出来ることなら、叶うことならいつまでもふたりで睦まじく愛し合って暮らしていたかったのだと思う。

 けれど、僕の愛が僕を裏切る。

つまり、「Love Of My Life」の「Love」は、アルバムの歌詞カードの和訳にあるような「恋人」という意味ではなく、まさに「愛」、フレディの中にあってメアリーと、そして彼自身とを今まさに裏切ろうとしている彼の愛情、そのものを指しているのだと、私は思う。

そう考えれば、「Love Of My Life」の歌詞は現実味を帯びるのだ。

 

 僕の愛情、それが僕を傷つける

 愛が僕をずたずたにして、僕から去って行こうとしている

 僕の愛情、どうか判って

 戻って来て、戻って来て

 メアリーへの愛を僕から奪って行かないで

 それがどんなに大事なものか、お前は知らない

 

そしてこの血の叫びは、同じアルバムの中の、あまりにも有名なもうひとつのフレディの曲へとリンクする。

 

 ママ、彼を殺してしまった

 彼の頭に銃口をあて引き金を引いた

 今、彼は死んだよ

 

そう、「Love Of My Life」は、「Bohemian Rhapsody」と、対になる曲なのだ。

「Bohemian Rhapsody」の冒頭で殺された「彼」、その断末魔の「彼」の側からの視点の曲が、「Love Of My Life」なのだ。

この心の殺人を告白する相手である「ママ」は、フレディ・ママであり、同時にメアリーでもある。

 

 ああ、ママ

 泣かせるつもりなんかなかったんだ

 明日の今頃、僕が戻らなくても

 今まで通りやっていって

 まるで何事もなかったように
         (Bohemian Rhapsody)

 いつか僕が年老いた時に

 たぶん僕は君の傍にいて

 思い出させてあげるよ

 どれほど僕がまだ君を愛しているか

 まだ君を愛しているよ
         (Love Of My Life)

 

そしてフレディは、自分がゲイであることを受け入れる。

 

 Nothing really matters
 でもたいしたことじゃない

 Anyone can see
 そうさみんな知ってる

 Nothing really matters
 たいしたことじゃない

 Nothing really matters to me
 本当はたいしたことじゃないんだ

 Any way the wind blows
 人がなんと言おうとね

 

私自身も含めて、聴衆というのは残酷なものだ。
数あるクイーンのアルバム作品の中で、「クイーンII」「シアー・ハート・アタック」「オペラ座の夜」の3枚のアルバムの評価がことさら高いのは、たぶん、フレディ・マーキュリーという芸術家が、もがき葛藤しているから、なのだと思う。

クイーンは「オペラ座」まで。それ以後のクイーンには魅力を感じない、という「初期だけクイーンファン」も、現実に少なからず存在する。

それは、ゲイであることを受け入れ、すっかり開き直ってしまったフレディに(…それにしても振り幅の大きい人である)、違和感を感じてしまうからなのではないかと思う。そして、その気持ちも、まあ判らなくはない。

 

葛藤の途上にあってそれゆえに人の心を揺さぶった名曲「Love Of My Life」は、その後、フレディ・マーキュリーを無条件に、そして無私に愛する彼のファンと彼との、蜜月の曲へと変化する。

ライブコンサートで、ブライアンのギターを伴奏に歌われる「Love Of My Life」を、フレディはしばしば観客をうながし観客に大合唱させる。

 Bring it back bring it back
 Don't take it away from me
 Because you don't know
 What it means to me

彼は満足げに微笑み、そして一言こう言うのだ。

「 Beautiful! 」

フレディ・マーキュリーは昇華したのだろう。苦い葛藤の曲を、無私の愛の曲へと。


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一日一ぽちっとしてくださると、凛々さんが張り切って芸をします。いつもより余計にまわっちゃいます。ってゆーか、いつも本当にありがとうございます。)

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