「メイド・イン・ヘブン」
1995年、私はどうしても「それ」が受け入れられなかった。
そのアルバムには、4年前に亡くなったフレディ・マーキュリーの意思はまったく反映されていない。ただフレディの声が、マテリアル(素材)として使われているだけ。
それを「クイーンのアルバム」だとは、その時点の私はどうしても、どうしても…どうしても認めることが出来なかった。
最近の「マイケル・ジャクソンのニューアルバム」ニュースを横目で見ながら、私はなんとなく、あの15年前の自分を思い出している。
結局、ファンが言いたいのは、
心はどこにある?
魂はどこにある?
ということなのだということを、私は痛いほどよく知っている。
ファンが求めているものは、「マテリアル」ではないのだ。
15年経った今、クイーンのアルバム「メイド・イン・ヘブン Made In Heaven」について、私はこう思っている。
もちろんそこに、フレディの意思は、ないかもしれない。
けれど、残されたボーカルトラックを使って仲間たちが…20年苦楽を共にし、共に笑い、大喧嘩をし、共にプレッシャーに耐え、共に世界中を飛び回った仲間たちが、ひとつの「形」に仕上げようとしている。
それを、フレディ自身がいやだと思うはずがない。
「うわっ、思いっきりブライアンらしいアレンジっ…」とか
「あ、くそ、『I Was Born To Love You』はこっちの方がかっこよくないか?」とか
あっちで笑いながら聴いているかもしれない。
そう思えるようになって、私はやっと、この「Made In Heaven」というアルバムに価値を見出せるようになった。
今回の「マイケルのニューアルバム」が誰のアレンジや誰のプロデュースで発表されようとしているのか私は知らないのだけれど(勉強不足でごめんなさい)、でももしも、それがかつてマイケルと共に仕事をした人たちや、信頼していた人たち、親しい人たちの手によってなされるものであるのならば。
マイケル自身、それをいやだとは、思わないんじゃないかな、と思う。
むしろ、「どのテイクを使うのかな?」「どんなアレンジにするのかな?」と、あの大きな瞳を輝かせて、見守っているんじゃないかと思う。
フレディにしろ、マイケルにしろ、自分が稀代のスーパースターでありコンポーザーであることは、十分自覚していたはず。
だから、自分にもしものことがあった時に、「未発表音源」が貴重なものになること、もっとあけすけに言えば、「売れる」ものになることも、ちゃんと判っていたはず。
つまり、遺言で「発表しないように」と明言していたのでなければ、彼らはそれを暗黙のうちに「まあ、そういうこともあるだろうね」と認識していたということなんじゃないかと思う。長くショービズ界にいた人たちだもの。
本当かどうかは未確認なのだけれど、マイケルは生前、自分に何かあった時に子どもたちが困らないように、未発表曲を100曲以上遺している、というニュースを見た記憶がある。
もしもそれが事実なら、重要なのは「アルバムが出ることの是非」よりは、「出たあとの利益がちゃんと正当に子どもたちに還元されること」の方なんじゃないかな?
もちろん、それは大丈夫なんだろうと思うけれど。当然、ね。
…でもやっぱり。
今でも、「メイド・イン・ヘブン Made In Heaven」は滅多に聴かない。やっぱり、クイーンのラストアルバムはフレディの生前に発売された「イニュエンドウ Innuendo」だと頑として思っている。
私にはそういう偏屈なところが、ちょっとだけある。そして、なんとなくそれはブライアンもロジャーも判ってくれるんじゃないかな、と、特に根拠もなく思っている。
●Queen - Made In Heaven 1995
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