カテゴリー「歴史」の16件の記事

2015年5月27日 (水)

6ペンスの唄を歌おう

Dscn0289

 6ペンスの唄を歌おう

 ポケットにはライ麦がいっぱい

 24羽の黒ツグミ

 パイの中で料理された

 ☆    ☆

ここのところ精神的にテンション低かったので、「幸せの6ペンス硬貨いるー?」と聞かれて反射的に「いる」と応えてしまったのですが、そりゃ幸せは欲しいですが、なんですかソレ。

我々クイーンファンにとっては「6ペンス硬貨」は「ブライアンのギターピック」以外の意味などないに等しいのですが、どうやら世間様では、結婚式に使われるおまじないアイテムらしいのです。

結婚する時に花嫁が、

Something old,
something new,
something borrowed,
something blue,
and a silver sixpence in her shoe.

何か古いもの、何か新しいもの、何か借りたもの、何か青いものを身につけ、そして靴の中に6ペンス硬貨を入れると縁起がいいのだとか。

…花嫁、大変だね…

イギリスの、19世紀末くらいから見られる民間風習のようです。
他にも、クリスマスプディングに入れておいて、切り分けられて当たった人はラッキー、みたいな。NHK「マッサン」でもあったな、それ。
もっとも、どちらも本来は「6ペンス銀貨」を使うようですが。

でまあ、そこから日本人得意の過大解釈をして「幸せの6ペンス硬貨」なのだそうで、花嫁じゃないけどいいんですかと恐れおののきながら、戴きましたよ6ペンス。

で、凛々さん初めて6ペンス硬貨の現物を撫でくり触りましてびっくり、ち、小さい…

なにしろブライアンがギターピックに使っている、ということで、世間一般的なプラ製のピックを思い描き、まあ500円玉くらいの大きさをなんとなーくなんとなーくイメージしていたんですよね。

Sixpence

いやまあ、こういう写真を見てはいたんですが、なんとなくオノレの実感としてね。

ところが実際は、1円玉と同じくらいの大きさ。1円玉よりびみょーーに、小さいかな。
イメージしてたよりずっと小さくてちょっと驚きました。ひ、弾きにくくないのかなコレ…としみじみ眺める。

Dscn0294

6ペンス硬貨は、イギリスが貨幣を10進法に切り替える段階で廃止され、1967年が最後の鋳造だったそうです(厳密には、1970年に「記念硬貨セット」のために鋳造されたのが、最後らしいです)。

「6ペンス」というのはエリザベス一世の時代のイギリスの庶民の一日の労働賃金の単位だったそうで、上記のような民間風習とか、マザーグースで歌われたり(「6ペンスの唄を歌おう」)サマセット・モームの小説のタイトルになったりと(「月と6ペンス」。なお、この「月」は夢を、「6ペンス」は現実を意味するそうです)、文化的にも庶民に愛さた庶民の硬貨だったため、当時イギリスでは廃止に反対する運動も起こったそうです。

…ブライアンも反対署名とか、してたりして!
でも全英でたったひとり、ブライアンだけ反対理由が違う(笑)。

鋳造停止以降も旧6ペンス硬貨は1980年6月までは、新しい10進法の2.5ペンスとして流通していたそうですが、現在はもちろん貨幣としては流通していません。

ブライアンも旧6ペンス硬貨の他、オーストラリアの5セント硬貨を使ったりしています。なんでも、材質(白銅)も大きさも、横のギザの数まで旧6ペンス硬貨と同じなんですって。

それ聞いてふと思ったんですけどね、80年代のクイーンなんて、それこそワールドワイドに飛び回ってた時代じゃないですか。
実はブライアン、ツアーしながら行く先々の国で、旧6ペンス硬貨に変わるギターピックを、密かに地道に探してたりして!(笑)

…ああーーーー!惜しいな1円玉!大きさは近いんだけど、材質がなーーーー!(笑)

ギザもないしなー。あの、ギザで弦を擦る感じとか、ブライアンの音の特徴ですもんね。
「ブライアン・メイのギターピック」になれなかった我らが1円玉に哀悼の意を捧げます。

Gmusnov9804

で今や大御所のブライアン・メイ先生、「ないなら作ってしまえ!」の精神で、自前で「メイモデルのsixpence」を作っちゃったりもしてるんですが、

http://goo.gl/R7u94z

これ、実際ご本尊は使っているんでしょうかね?

Sixpence2015


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2015年4月15日 (水)

フィービーとマーキュリー、そして黒の女王

今日、ネットで調べ物をしていて偶然、面白い小ネタを発掘しました。

18世紀イギリス国王ジョージ3世の王妃シャーロット(1744~1818年)が、1767年にイギリスに輸入した2匹のポメラニアンの名前が、

フィービーとマーキュリー

っていうんですってよ!(笑)

王妃シャーロットと、その孫に当たるビクトリア女王はポメラニアン愛好家として有名だったそうです。その頃のポメラニアンは現在のものより大きくて、中型犬くらいのサイズだったものを、ビクトリア女王が品種改良させて小さくしたのだとか。

いや、そんなことよりフィービーとマーキュリーですよアナタ(笑)。

画家のトマス・ゲインズバラが肖像画を残している、という記述があったので探しまくったのですが、王妃シャーロットと2匹のポメラニアンは見つけられませんでした。

ただ、ゲインズバラはこの犬種を好んでいたようで、別のポメの絵はありました。

N05844_10
Thomas Gainsborough - Pomeranian Bitch and Puppy, 1777

Mr_and_mrs_william_hallett
Thomas Gainsborough - Mr.and Mrs.William Hallett, 1785

さらに探しまくって、別の画家の「王妃シャーロット」の肖像画にポメ発見!

Queencharlotte_1807
Peter Edward Stroehling - Queen Charlotte, 1807

ああああ、1807年ではこのポメラニアンはフィービーでもマーキュリーでもないわ。その子孫?

1779_queen_charlotte_by_b4
Benjamin West - Queen Charlotte, 1779

1779年でも厳しいね。
結局フィービーとマーキュリーは見つけられないのか!…といろいろ探してたら、もっととんでもないハナシにぶち当たってしまいました。

なんでもQueen Charlotteは黒人種の血を引いているという説があるらしい!

http://www.theguardian.com/world/2009/mar/12/race-monarchy

http://www.newgrowthhair.com/2015/02/queen-charlotte/

Britain's first black queenって、アナタ(吐血)。

もちろん公式には認められていない説のようですが、

英国のブラック・クイーンが
マーキュリーとフィービーを引き連れていた
(歴史的な意味で)

というだけで、我々クイーンファンとしてはもう、十分おなかいっぱいですとも。

…いえ、たぶん、これらは偶然の産物、だとは思うんですよ、まさか、まっさかフレディ・マーキュリー先生がこれらのことを踏まえていた、知っていた、とは、さすがに…さすがに…え、どうだろう(おろおろ)。断言出来ない。

…フレディさぁ、自分の作品の背景の説明とか、頑として一切しないじゃないですか。

それだけ作品に想像の余地があるというか、無限の解釈が可能になるのは本当に楽しいし、有難いんですが、「正解がない」という点で、ファンは永遠にもだえるのであります。ってゆーか、凛々さんはもだえます。あううう。

なお、画像検索で「Phoebe Mercury」と検索すると、出て来る画像はコレです。

Freddiemercurypeterfreestone

…そりゃそうだろうなぁ…

■ Queen - The March of The Black Queen

https://youtu.be/SoBMhx_ap_g


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2011年7月10日 (日)

織田信長の肖像画

今日、「織田信長の写真 クイーンのフレディ」という検索語句で当ブログにお見えになった方がありまして、歴史好きの凛々さんは、「あ、アレだな」とピンと来ました。

King_of_zipangu_2

イエズス会のジョバンニ・ニコラオ筆、織田信長像。

さすがに写真ではなく、木炭画、またはコンテ画だったと言われています(原本が焼失しているため絵に関する詳細は不明です)。

似てます?

Freddie1987

当時(16世紀)の日本としては珍しい洋画の技法で描かれた肖像画なので、日本画の戦国武将の肖像とはイメージがだいぶ違いますよね。

織田宗家は美男美女の家系で知られておりまして、信長の妹のお市の方やお犬の方は美女で有名ですし、信長自身も美男であったと言われています。

なおこの信長の肖像画は、信長生前に描かれたものではなく、信長の死(1582年)直後にイエズス会のセミナリオ(神学校)の教師が、故人を偲んで描いたものだそうです。

信長は異教の学校であるセミナリオを手厚く保護していて(信長さんという人は新しいことに対して偏見がなく、好奇心が旺盛な人。宣教師の連れていた黒人奴隷を家臣に取り立てた話なども有名ですよね)、画家は信長に対して恩義や愛情、そしてその死を悼む強い気持ちがあったはずです。

残虐で冷徹なイメージのある戦国武将・織田信長が、穏やかな面立ち、厳しいながらもどこか優しさを秘めた瞳に描かれているのは、画家の信長に対する心の表れのように、私は感じます。

…あ、いやまあ、フレディに似てるかどうかは別として(笑)。

(私はどっちかっつーと中井貴一に似てる気がするんですが…)


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2011年3月 1日 (火)

そ、そういうことだったのか!

先週末に「胸毛のお仕置き」さんに教えていただいた「フレディのアロハシャツのそっくりさんジャケット」についての記事を書きましたが、その後に凛々さん、例によって「なんでもかんでも無節操に知りたがり」のクセが出て、アロハシャツの歴史なんてちょっと調べてみました。
…いやほら、「伝統柄」とか、そんなのがあるのかなぁと思って。
が、その結果知ったのはドびっくりな話。

なんと、

アロハシャツの起源は和服

なんですって!ご存知でした?私は知りませんでした。

有力な説、としてあちこちで紹介されているところによると、元々は農業に従事していたハワイの日系移民が、西洋人がよく着ている動きやすい、働きやすい開襟シャツを、自分たちの手持ちのキモノを解いて作ったのが始まり、らしいんですよ!

時は19世紀の終わりから20世紀の初頭。

だから最初は和服の柄の開襟シャツだったんです!
リサイクルでない、新品のシャツを作る際も、最初は日本の絹の反物を、開襟シャツに仕立てていたらしいです。

で、そのうち海やヤシの木、パイナップルなどといったハワイ独自のトロピカルな図柄のものも作られるようになったんだけど、元々和服、ということで、図柄のはっきりとした、色合いのカラフルなシャツ、という点は継承されたようです。

ということはつまりですよ、

  これと、

Freddie_mercury

  これは、

F2

 根っこが一緒!

ってことなんですよ!う、うわぁ。

いやもちろん、いかなファッションにはうるさいフレディ・マーキュリー先生といえどもまさかそこまで実際にご存知だったわけはないと思うんですが、なんていうんだろ、人間の「根底にある趣味、好みの感覚」って、やっぱりつながっているというか、知らず知らずのうちに同源のものを好んでいた、って、凄いことだと思いません?

正直に言うと凛々さん、今まで「フレディにアロハシャツって、あんまり…その…どうなんだろうね」と思っていたことは否定できないんですが、

元が和服

と知って、前言撤回。ええ、撤回させていただきます。私が間違っておりました。ひらに、ひらにご容赦を。
やっぱりマーキュリー先生のセンスって素晴らしいですね。改めて敬服いたします。

http://youtu.be/2pMM4iwC-ag

(↑コレも「元は和服!」と思って観ると、また一段とおもむきが!)


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2011年2月24日 (木)

ケーキはお菓子でブリオッシュ

Flower

「ガンパウダーとゼラチン」の時に一緒に書こうと思ったんですが、例によってハナシが長くなったので分割しました。

「キラー・クイーン Killer Queen」の歌詞について、もうひとつね。


 'Let them eat cake' she says

 「ケーキでも召し上がれば?」と彼女は言う

 Just like Marie Antoinette

 まるでマリー・アントワネットみたいに


「まるでマリー・アントワネットみたいに」とフレディ自身が言っているのでみなさんお気付きだと思いますが、この

「ケーキでも召し上がれば?」

は、フランス革命の初期に、貧しさから民衆がパンを求めて宮殿に押し寄せた時に、王妃マリー・アントワネットが

「パンがないならお菓子を食べればいいのに」

(If they have no bread, then let them eat cake.)

と言った、という「伝説」、アントワネットの無知と高慢と、民衆への無関心の象徴、とされるセリフの中の一節です。

もっとも、後世の研究(クイーンの研究じゃなくて、歴史の研究ね・笑)によれば、このセリフは実際にはアントワネットが言ったものではない、ということが、現在ではほぼ確定とされているようです。

フランス革命前後には、なんとしても王家の人たちを「悪者」にしなければならなかったため、歪曲されて彼女が言ったことにされてしまった、のだとか。

さらに、この「Let them eat cake」はフランス語では「Qu'ils mangent de la brioche」で、日本語で「お菓子」と訳されているのはブリオッシュのことなのですが、当時パリではパンは上等の小麦で、ブリオッシュは品質の落ちる小麦で作られていた、という説もあり、それが正しいとすれば「パンがないならブリオッシュ」、というのは、

まっとうなアドバイスじゃないか!

という研究もあるそうです(笑)。

まあ、史実はどうあれ、フレディが「キラー・クイーン」の中で使った「Let them eat cake」は、決しておもてなしの心(笑)から出るセリフではなく、伝説の中のマリー・アントワネットように、相手に対するある種の冷たさ、無関心さ、相手を適当にあしらっている感じ、を表現している、というわけなのです。

ちなみに、この「Let them eat cake」というのは英語では一種の慣用句みたいな感じになっているのか、この記事を書いてる途中で「Let them eat cake」というタイトルの、イギリスのファッション・カルチャー誌を見つけてしまった。

Letthemeatcake

良く知らないで言っちゃうんですが、

すんごい高飛車っぽいファッション誌に見えます、先生!

オマケ:マリー・アントワネットつながり。
彼女の宮廷画家としてあまりにも有名な、「ヴィジェ・ルブラン展」があるようです!おお凄い、これは行きたいぞ!

http://mimt.jp/vigee/

●Queen - Killer Queen -


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2011年1月22日 (土)

「毛人」と書いて「えみし」と読む。

Queen79_01

日本の歴史の中世以前、北方に大和朝廷に従わない異民族があり、これ総称して「蝦夷(エミシ・エゾ)」と呼んでいました(注:この「蝦夷」は、直接的にアイヌ民族のことを指すわけではありません。反大和朝廷の人たち全般を意味します)。

鎌倉時代末期に書かれたと言われる「諏方大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)」の中で、

「蝦夷が島(今で言う北海道)には日の本・唐子・渡党の三派があり、日の本・唐子は言葉すらもまったく通じないが、渡党は和人に似ていて言葉もかろうじて通じる。しかし髪が多くて体中に毛が生えている(【髪多くして遍身に毛生ぜり】)」

と、体毛が濃いことをことさらに「異なる身体的特徴」として特記しています。
その「見慣れない」身体的特徴から、当て字で「毛人」と書いて「エミシ」とも読むようになりました。

「エミシ」と言えば思い出すのは蘇我蝦夷(そがのえみし)ですが(「日本書紀」では蘇我蝦夷、「上宮聖徳法王帝説」では蘇我毛人)、「えみし」の名前に関しては北方のまつろわぬ(従わない)民の持つイメージ、すなわち勇猛果敢でワイルドで男らしいイメージの名前、という説と、和人(=権力者)に唯々諾々と従わないアウトローを模して卑下したあだ名、の両方の説があります。

「毛人」という名前自体は蘇我毛人以外にまったくいなかったわけではないので(小野妹子の息子、小野毛人など)、男子の名前として「毛人(えみし)」は当時アリだったのでしょう。
男らしくてワイルドで反骨精神があって…たとえば現代の「勇(いさむ)」とか「猛(たける)」みたいな感覚でね。
そういえば南方の異民族、「隼人(はやと)」だって、男性名になってますもんね。

自分にないからこそ、ちょっとおっかない、でもちょっと魅かれる、そういう気持ちは今も昔も変わらないのかもしれないなぁ、と歴史の向こう側にいる人たちに想いを馳せたりなんかして。

…で、それはいいとしてなんでこのテーマでトップ写真がフレディ・マーキュリー先生(もちろん半裸)なのかと自分に問いたい。

  ☆  ☆

話は違うんですが、明日23日、ちょっと所用でいつもの 00:01 定時更新が出来ないかもしれません。
いえ、せっかく遊びに来てくださる方に空振りさせてしまっては申し訳ないので一応お断りをね。
23日中には更新するつもりではおりますが…


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2010年9月28日 (火)

シカンナカムイ

東京は今、時折雷が鳴ってます。tanto hum-pakpak hawe !(今日は雷がゴロゴロ聞こえるよ!)

日本では、カミナリ様はドラムキット背負ったファンキーな鬼ですが、アイヌの雷神は、その稲妻の形状から龍蛇の神さまと思われています。確かに天空を切り裂く稲光は、強大な龍の姿を彷彿させますよね。

日本の龍神は蛇行する川の形状からか、水神とされているのと比べると面白いですね。日本の龍神は地に住まうけど、アイヌの龍神は天にいるんですね。

アイヌの龍神の名前は「シ・カンナ・カムイ」。「真の・天上の・神」という意味です。

カミナリ様ですから気の荒い神ですが、決して悪神(ウェン・カムイ)ではありません。人間界(アイヌモシリ)の風紀が乱れた時に、警告をするために暴れるのだと言われています。

だから、カンナカムイが来たら、人間は仕事の手を止め、針や刀、鍬などの金属の物(仕事の道具)を身から離して家の中に入るか、その場に伏せて神妙にしていなければなりません。そうしないと、カンナカムイは「礼儀を知らぬヤツ」と怒ってカミナリを落とします(←文字通り)。

ところで、前述の通りカンナカムイは龍蛇の神とされていますが、妙なところで合理主義なアイヌの人々は、

翼もないのに空を飛べるのは、変だ

と考えました。もっと他に変だと思うところはないのか、という気もしますが。
そこで、龍神カンナカムイは、シンタと呼ばれる乗り物に乗って、空を飛びまわっているのだと考えられるようになりました。

…シンタとは何か?簡単に言えば、「ゆりかご」。舟形の木枠の四隅に紐を付け、囲炉裏のそばなどに釣って、赤ちゃんを寝せてあやすアイヌのゆりかごです。

身近にある「翼がなくて宙に浮いてるもの」っていったらシンタしかなかったのよ、たぶん。
じゃあその紐はどっから釣ってるんだ?とか、稲妻が龍の具象ならシンタはどこにあるんだ?とか、瞬時に突っ込みが10個くらい浮かびそうですが。

ついでに、カミナリのゴロゴロいう音は、シンタを叩いて出すそうです。…やっぱりドラマー系です。

そんなワケで、今日みたいにカンナカムイが頭上に来たら、家の中などで神妙にして、怒らせないように静かにやり過ごしましょうね。カムイさんナメたらいかんですよ。


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2010年9月17日 (金)

何をどう頑張るのだ

Freddiemercury

そもそも、なぜ大方の日本人女性は胸毛をあまり好ましく思わないのでありましょう。
…いや女性だけでなく、男性だってなんとなく微妙にイヤがってますよね、ことにそれが自分の毛の場合。

凛々さんのように子どもの時分に

はっと気がついた時には目の前に世界一の胸毛があった

とかいうスリコミに近い状況ででもない限り、胸毛を好ましいと思う人は大変少数派の国民性。欧米などで胸毛が「男らしさ」とか「セクシーさ」の象徴として、まあ好意的に見られる(それでも最近はやはり「さっぱり系」の方が人気らしいですが)のとは好対照です。

で、考えてみると、元々日本人って体毛が薄い人種なんですね。
たとえば江戸時代の浮世絵で、職人さんとか飛脚とかがもろ肌脱いで仕事してる図柄なんかもよくあるわけですが、胸毛のある職人さんが描かれているのなんて見たことありません。

Hugaku

Hodogaya
まあ厳密に言えば毛がまったくないことはないのでしょうが、ドカンと目立つほどには生えていない。だから見慣れないというか、そこに毛があることに慣れていないというか。

つまり、要は慣れの問題です(←ばっさり言い切った!)。

見慣れさえすれば、くるくると渦を巻く胸毛もカワイイと思えるはずですので頑張ってくださいねっ。

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2010年4月 6日 (火)

関より東の戦神

今年は諏訪大社の、7年に一度の御柱大祭です。

http://www.onbashira.jp/

この諏訪大社は個人的にとても興味をそそられる神社です。

祭神は建御名方(タケミナカタ)と八坂刀売(ヤサカノトメ)の夫婦神。
「古事記」によれば、建御名方は国津神(出雲の土着の神)の大国主(オオクニヌシ)の息子です(が、正式な歴史書である「日本書紀」には登場しません)。

高天原のつかいとして、国を俺らに譲れと迫る天津神(渡来神)の建御雷之男(タケミカヅチノオ)に、大国主は、「息子が承諾するなら承諾する」と答えました。
ところが兄神の八重事代主(ヤエコトシロヌシ)は承諾しましたが、弟神の建御名方は承知しません。そりゃそーだ。

そこで建御雷之男と建御名方の戦いが始まり、勢力に押されて出雲から諏訪湖まで逃れてきた建御名方は、この地でとうとう破れ、国譲りを承諾します。ついでに「敗れた自分は、この諏訪の地から二度と出ません」という誓いまで立てて。

さてここに、「古事記」には登場しない、いわば非公式な神様が一柱登場します。
諏訪大社の縁起を示した「諏訪大明神絵詞(すわだいみょうじんえことば)」によれば、諏訪には元々そこを治めていた土着の神様がいました。建御名方はその土着の神を退けた上で、ここを本陣として戦ったのです。

その土着神の名はモレヤ。洩矢と書きます。

…ま、現代風に申しますと、出雲の豪族の一派が大陸から渡来した一族に追われて、諏訪地方土着の豪族・洩矢氏を討伐してそこに居着いた、ということになります。
ようするに侵略者に追われた先を、自分も侵略したんですな。二重侵略。

エラい迷惑なのは、元々諏訪に住んでいた人たちでありまして、建御名方が逃げて来たばっかりにとんだとばっちり。諏訪が建御名方の統べるところとなっても、土着の洩矢氏の神(ミシャグヂ)への信仰は消えません。
一応は、諏訪の神に建御名方の「金看板」を被せた上で、実はミシャグヂ神に対して行われた神事が近年までたくさん残っていました。

御柱祭もそのひとつですが、他にも正月元旦に赤蛙を捕り、神前で射殺す「蛙狩り神事」、75頭もの鹿の頭を上社にお供えする「御頭祭」など、血をケガレとして忌む日本神道には珍しい、「狩猟神」としての性格が濃厚なのも、諏訪大社の神事のひとつの特色です。

おそらくは、神道成立以前の、縄文時代からの古い信仰の対象であった諏訪社が、祭神(というか、支配者階級)が入れ替わってしまったために、元々の信仰やその目的がうやむやになって統合が取れなくなって、ワケ判らんことになってしまったんですね。
それが、諏訪大社に謎が多いゆえんではないかと思います。

御柱も、建御雷之男に敗れた建御名方が、「ごめんなさい、諏訪から出ないから許してください」という証の、いわば結界であるともいわれていますが、よく考えるとそれなら諏訪地方を囲む四隅に建てればいいのであって、社殿を囲むのは変。

第一、諏訪湖の南側の上社にお住まいの建御名方さん、北側の下社にお住まいの奥さんに会いに、社殿を出てちょくちょく諏訪湖を渡ってます。これが御神渡り(おみわたり)。

http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/event/omiwata.htm

他にも、第二次大戦の時に大日本帝国軍部が軍神である建御名方に、諏訪からのお出ましを願い出たというエピソードもあります(…出たんだろうか)。

結界、意味ないじゃん!ということで、この御柱については他にも元々はイケニエ柱であるとか、ネパールの御柱祭りと関連づけて男性の象徴であるとか、いろいろな説があります。

話は飛ぶんですが、神様の数え方の単位(助数詞)ってご存知ですか?
キリスト教などの一神教では神様はおひとりなので、単位使って数えることもありませんが、なにしろ日本には八百万の神がおわしますので、神様を数える単位があります。

それは「柱(はしら)」。一柱、二柱と数えます。

なぜ、神を「柱」で数えるかというと、「古事記」以前、7世紀頃に、各氏族が亡き天皇の古墳の前にそれぞれに柱を建てそれを依り代にして、柱に氏族の霊を降ろしたことから、柱の数=神の数、ということになったのが始まりではないかと言われています。

そして、諏訪の古い神である洩矢神の末裔、守矢氏には代々、諏訪大社の御柱を依り代にしてその守り神であるミシャグヂを柱に降ろす神事がありました。

つまり、記紀成立以前の神そのものなんですね、御柱は。そこに、新しい神(=支配者階級)である建御名方が割り込んで来たからハナシがややこしくなりまして。

ね、面白いでしょ、諏訪大社って。これだけ、記紀以前の、縄文の流れを汲む古い土着の信仰が現代まで残っている社って他にちょっとないですよ。

実は10年くらい前に、諏訪大社について書きたいと思ってフィールドワークしていろいろ調べたんですけど、まとめないままにしてしまったので、そのうちどこかでまとめたいなーとずっと思っているのですが…

なお、タイトルの続きは「関より東の戦神、鹿島、香取、諏訪の宮」(「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」より)。
このうち鹿島神宮の祭神は勝った方の建御雷之男。そして諏訪の祭神は負けた方の建御名方。勝った方と負けた方の両方が「軍神」と謡われているのも面白いですね。


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2009年12月24日 (木)

「サンタさん、今どこにいるの?」

始まりは1955年だった。

北米コロラドのとあるスーパーマーケットが、「サンタさんと話そう!」というイベントを企画し、サンタさんの電話番号を載せたチラシを配った。もちろん、スーパーが用意した「サンタさん」が、子どもたちの電話に答えるはずだった。

ところが、そのチラシの電話番号が手違いでミスプリントになってしまった。
そうとは知らない子どもたちは、「サンタさん」に電話を掛ける。

「もしもし?サンタさん、今どこにいるの?」

「…レーダーで調べた結果、北極から南に向かったもようです」

間違い電話の先は、中央防衛航空軍基地司令官、シャウプ大佐のホットラインだった。


その年以来、毎年12月になると、業務を引き継いだ北アメリカ航空宇宙防衛司令部(通称ノーラッド)は、最新鋭の軍事技術を駆使して、サンタさんの追跡を開始する。世界中の子どもたちに、「今、サンタさんはどこにいるのか」を伝えるために。

日本語公式サイト
http://www.noradsanta.org/ja/

サンタさん、もうすぐ日本上空です!


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